電気代不払い革命!〜不払いの意義を考える〜
電気代不払いタイムス] The TEPCO Unpaid Times
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あるところで、やらかした。
職場の宴会で、マイクを握って「電気代の不払い、みんなでやりましょう!」と、ぶちあげたのである。
数日後、上司に呼び出されてこんなことを言われた。
「ええと、原発事故への怒りとか、あなたの言いたいことは、わかるんだけど、それに対抗して電気代を不払いするというのは、民法で禁止されている『自力救済』に当たるんじゃないですか」
つまり政府なり、裁判所以外の力で東電を懲らしめようとすることは、私的な制裁で、一種の「リンチ」なのではないかという意見だ。面白いことに気がつくなあ、と思った。
私はこんなことを言い返した。
「それじゃ聞きますが、たとえばガンジーが、イギリスによる塩の専売が人々を苦しめていることに抗議して、『塩の行進』で、海にみんなで行って自分たちで製塩したことは、当時のイギリス政府の法に対する違法行為で、自力救済だか、私的制裁かもしれないですよ。でも今、誰がそういう問題を言いますか」
「あと、どっかの植民地がイギリスに対して独立宣言をして、戦争になりました。それで勝って、アメリカ合衆国という国ができました。これはイギリスに対する凶悪な武装叛乱で、もし負けてたらジェファーソンもワシントンも吊るされるような大犯罪だけど、今、「やっちゃだめだった」って人がいますか」
上司はこれには直接答えず、一般的な注意があって、その場は終わった。法律関係の職場でもないのに、最初の一言が民法の引用なんだから、なかなか教養のある人だった。あれから少し時間が経った。今ならどう答えるか、聞いてみたい気もする。
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歴史が大きな一歩を踏み出すとき、下から突き上げる力や行為は、法律の枠をはみ出したり、事後的に法律を変えてしまうことがある。それは革命だ。
不払いをしている人一人ひとりは、ただ自分の思いに忠実に、「素直に払う気持ちになれない」から、一円不払いとか、ギリギリ払いとか、いろいろな方法で電気代を留保しているだけのささやかな運動なのだけれど、じつは歴史的な意味があると思う。
時代の「正義」や、法律と対立する新しい「正義」はありうるのか、という問いだ。遵法精神というのは、価値観の一つでしかない。
わたしたちの電気代不払い運動が、その「正義」であるかどうかはまだわからないが、しかしこういうことは言えると思う。法律が歴史を作るのではなく、いつも歴史のあとに法律が生まれる。
革命っていうと、ちょっと大げさかな。
毎日のように、小さな革命が起こり、少しづつ社会が変わっていく、そのことをみんなが真剣に考えている、そんな自由で流動的な世の中にしたい。
そんで何かって? とりあえず電気代の口座引き落としをやめましょう、ってことなのさ!
やめ方は、こちら > http://d.hatena.ne.jp/toudenfubarai/20140721
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発行:電気代一時不払いプロジェクト
http://d.hatena.ne.jp/toudenfubarai/20120217/
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